月日は二度と還らぬ旅人であり、行きかう年もまた同じ。船頭として舟の上で人生を過ごす人、馬子として愛馬と共に老いていく人、かれらは毎日が旅であり、旅が住いなのだ。かの西行法師や宗祇、杜甫や李白など、古の文人・墨客も、その多くは旅において死んだ。私もいつの頃からか、一片のちぎれ雲が風に流れていくのを見るにつけても、旅への想いが募るようになってきた。『笈の小文』の旅では海辺を歩き、ひきつづき『更科紀行』では信濃路を旅し、江戸深川の古い庵に戻ってきたのはたった去年の秋のこと。いま、新しい年を迎え、春霞の空の下、白河の関を越えよとそそる神に誘われて心は乱れ、道祖神にも取り付かれて手舞い足踊る始末。股引の破れをつづり、旅笠の紐を付け替えて、三里に灸をすえてみれば、旅の準備は整って、松島の月が脳裡に浮かぶ。長旅となることを思って草庵も人に譲り、杉風の別宅に身を寄せて、